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大本山總持寺御直末

曹洞宗瑞雲萬歳山 大寧護国禅寺

名 称:瑞雲萬歳山 大寧護国禅寺(ずいうんばんぜいさん たいねいごこくぜんじ)
通 称:大寧寺(たいねいじ)
所在地:山口県長門市深川湯本1074

開  創

室 町 時 代 応永十七年(1410年)
開 山:石屋真梁(せきおくしんりょう)禅師
開 基:長門守護代 鷲頭弘忠(わしのうずひろただ)公

史跡及び文化財等の指定

本   堂:山口県指定有形文化財
境   内:山口県指定史跡
墓   地:山口県指定史跡(中世・近世の墓地群)
梵   鐘:長門市指定有形文化財
搭頭興阿寺:長門市指定有形文化財

 応永17年(1410)大内家の支族鷲頭(わしのうず)弘忠公が、石屋真梁(せきおくしんりょう)禅師を開山として迎え開創した。
 石屋禅師は、18才で中国に渡り修行を積むこと20年。活達磨(いきだるま)と称賛され、帰国後、当時、南北朝にわかれて葛藤していた皇室を、後小松天皇の勅命によって合一 する働きを元中9年(1392)に成し遂げ、皇室に絶大な信頼を得た。その学徳兼備の名声と遺勲を礎として、 6世紀になんなんとする寺史を有し、かつては全国に六百数十ヶ寺に及ぶ末寺をもつ僧録(そうろく)寺として栄え、その壮麗美観は「西の高野」と称えられ、毛利家の香華院、又萩藩毛利家の上級家臣もこぞって境内に墓碑を建立した。

大内義隆公 大寧寺にて最後

天文二十年(1551年)に、連綿として栄えた大内家当主大内義隆公は、突如重臣陶隆房(すえたかふさ)の謀反により山口を追われ、大内氏の香華寺である大寧寺に逃れ十三世異雪慶殊(いせつけい じゅ)和尚に示戒を請い、重臣と共に自刃。大内家は三十一代にして断絶した。
 主従の墓は裏山遊仙窟(ゆうせんくつ)に眠る。

上杉憲実公の終焉地

 足利幕府の管領であった上杉憲実(うえすぎのりざね)は、幕府内の政争に疲れ、諸国行脚の後、享徳元年(1457年)当寺四世竹居正猷(ちっきょしょうゆう)和尚の弟子となり、安居参禅の晩年を送り、寛政七年(1466年)に入寂。墓は史跡墓地群の中にある。

湯本温泉由来

 湯本温泉は当寺三世定庵殊禅和尚の威徳を慕って長門一の宮の住吉大明神が大寧寺で参禅。 得戒を果たされた報恩の温泉で、応永(1427年)に湧出した。 開山堂には住吉大明神の尊像が奉安され、寺域には座禅石・手洗の池等ゆかりの古跡がある。 →もっと詳しく

長門豊川稲荷禅宮

昭和三十六年(1961年)愛知県妙厳寺の守護神豊川稲荷が勧請祭祀された。御祭神は仏法を護持する叱枳尼真天(だきにしんてん)という仏さまで福徳成就の大請願をもつ。 明治になって神仏分離政策で妙厳寺と豊川稲荷を分離しようとする権力に直面した時、当寺四十五世簣運泰成 (きうんたいじょう)和尚が三条実美卿を説得した因縁によって結ばれている。→もっと詳しく

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