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大寧護国禅寺 本堂

本堂

 天文20年(1551)の大内義隆が最期を遂げた戦乱で大寧寺の七堂伽藍は焼失。
その後、毛利家によって旧に復したが、寛永17年(1640)再び野火によって焼失。その時、焼け残った衆寮(僧の寄宿寮)を本堂として文政12年(1829)移築したのが、現在の本堂である。
三百五十数年を経過した建造物として、昭和54年3月30日山口県指定有形文化財として指定されました。
  本堂は南面し、桁行5間、梁間7間、正面に1間の葺下しの向拝を付す。
背面を除く三方に切目縁を廻らし、正面と両側の中央部分まで、及び向拝の上りに後設の高欄を取り付けている。さらにその奥には、東北隅、鍵曲りに背面庇を設け庫裡から開山堂への廊下とする。身舎平面は正面側柱筋から1間が、入側の広縁で現在畳20畳を敷いているが当初は板敷であった。外陣は両脇の18畳と大間の24畳から成り、その奥に両脇それぞれに12畳、中央に16畳の内陣を設けるが板の間である。内陣は中央後方に仏壇を置き、その背面に来迎壁を付す。後陣の西寄間には位牌壇を設え、廊下境に5畳の納戸、東寄間には東北を1間に隅切し、8畳の仏間を張り出す。軸部は、外陣、内陣境の中央部二柱と来迎柱及び後陣の中央間の各柱が円柱。その他は方柱である。向拝は几帳面取り、上下粽付の方柱を野面石の礎石建てにし木鼻付きの水引紅梁繁虹梁で柱頭を繋いでいる。天井は、向拝、内陣及び外陣中央部は格天井、その他は棹縁天井とし、内陣板敷き部分の上方天井板は彩色絵を施している。
 制作者は、小屋東に取り付けてある棟札に棟梁品川惣七、木挽山根芳蔵とある。
 これ以前の本堂は、毛利家文庫の中にある「大津深川大寧寺諸堂御脳所並自作事所差図」の仲居に図面として残っており、大寧寺の全容を知る上で貴重である。本堂の規模は現在より一廻りも大きい。